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2009年 06月 11日 ( 2 )

バカデジ遊び、その1・・・・・・PUSH-PULL_d0138130_974412.jpg
バカデジ遊び、その1・・・・・・PUSH-PULL_d0138130_981080.jpg
バカデジ遊び、その1・・・・・・PUSH-PULL_d0138130_982339.jpg
拡大写真
以前例会で入手したペンシル型の顕微鏡、単3X2でちゃんと電気もつく、小さい頃を思い出し色々な物を拡大して遊んでいたが、バカデジで記録することにした

どうせ撮るなら元ネタが解らないようなものをピックアップ、パソコンでフィルターをかけようかと思ったがそのままでもなかなか面白いので加工はトリミングのみ、ちなみに拡大率は30倍、こればっかりはレンズの口径に小さいバカデジならではのお遊びでデジイチでは不可能ではないだろうか、三脚も何も無しで手持ちの勿論適当自動撮影です

サークルで切り取られた世界は一寸した宇宙空間、たった数ミリの中に別の時間が漂っています

どうもサークルに画像を納めると会長の作品を思い出しますな
by tedukuricamera | 2009-06-11 09:12 | 写真 | Comments(4)
ライカをめざせ!・・・白髭_d0138130_981776.jpg

またまた本の話。
「めざすはライカ!」という本を読みました。(写真。神尾健三著。2003年草思社刊)
日本カメラの発展史は写真のバックなど様々な本が出ていますが これはライカと対比しながら ミノルタ キャノンの話などを中心に語られています。この著者の本は前にも出ているのですが 関係した個人の名前をあげ その言葉を人間臭く語っています。ちょっと小説っぽいなと思われるぐらいの個人的描写と思い込みが 大変面白いのです。
今回始めて知ったのですが ニコンが最初の35ミリカメラを製造するに当り なぜライカではなくコンタックスをお手本にしたかということです。その部分を下記にコピーしましたので読んでください。なお「更田」というのは 日本光学の元重役です。

―――日本工学はカメラははじめてでしたから、ずいぶんご苦労があったでしょう。       更田「社内にカメラ好きはもちろんいたと思いますが、専門家がいなかった。ただ、戦前のキャノンのレンズとファインダー部は日本工学が供給していました。戦後、日本工学からキャノンに移った技術者や技能者もいて、キャノンとは非常に親しい関係だったのです」   ―――そんな時期、日本光学でもカメラを作ろうということになると、キャノンとの関係が微妙ですね。   更田「当時、社長からはキャノンの営業のじゃまをしてはならないと、これはやかましく言われました。そんな配慮もあって、われわれのカメラの顔はライカ、つまりはキャノンじゃなくてコンタックスでやろうということになったのです。もともと日本光学は東洋のツァイスが目標で、東洋のライツになろうとは思ってませんでしたからね。」   ―――当然そうでしょうね。会社の性格からして・・・。   更田「とにかく、顔をキャノンに似せないということが第一です。だからといって、外観やレンズまわりをコンタックスに似せる必要も、よく考えればなかったわけなんですがね」

要するに キャノンの迷惑にならないように コンタックスの姿を借りたわけで これは私には初耳でした。その他 ライカM3の衝撃と ミノスタスカイの発売中止 一眼レフの発展等などです。 ただ ライカM3 はすごいカメラだったのですが 商売的にはあまり売れず儲からなかったようです。

白髭。