時には本の話はいかがでしょうか?・・・白髭

久し振りに写真の本の話はいかがでしょうか? 最近私が凄いカメラマンだと感心した「鬼海弘雄」の二冊の本です。
「世間のひと」は所々に文章が入っていますが文庫本の写真集です。浅草寺の境内で撮影した通りすがりのひとたちなのです。普通の人も変わった人もいますがこれほど引き込まれる人たちはありません。
「誰をも少し好きになる日」は随筆集ですが一話に一枚の写真がついています。写真もいいのですが何気ない日常の話がこれまた面白いのです。これらの本を読んでいると結局この人の生き方・・・人生そのものが芸術に思われてきます。
本当はこの人の「ペルソナ(PERSONA)」という立派な写真集を見てもらいたいのですが残念ながら手元にありません。大きな書店にはあると思いますので立ち読みでもしてみてはいかがでしょうか? 私が本当に感心した凄い写真家です。
何が感心したかというと最初から写真をやろうと思ったのではなく何かを表現するにはどうしたらいいかというところから入ったということです。法政大学文学部哲学科を卒業しながら定職につかずあれこれいろんな職業を転々としたようです。その中には遠洋漁業の漁師としての仕事もあります。
カメラを持ち始めてからは何を撮れば分らぬままハッセルブラッドをもって浅草を歩き始めたのです。そしてそこを歩く人たちの中で興味を持った人を撮り始めたのです。

その写真がいいのか悪いのか自分でも分らないまま撮影作業を続けたわけです。当然写真からの収入はゼロです。そこが私にはもっと驚きなのです。
その撮り貯めた写真を発表したところ突然評価が高まって土門拳賞その他を授賞しました。それから写真で食えるようになったというわけです。
報酬が全然見込めない撮影作業を続けるなんて私には出来ないことです。アマチュアカメラマンが重いカメラと三脚をもって歩いているのを見ると「そんな苦労をして何ぼの金になるんじゃい・・・」と思ってしまうのです。
ところがその収入を見込めなくて撮り続けた写真が素晴らしいのです。物凄いのです。私にはとても撮れる写真ではありません。というより似たような写真は撮れるでしょうが私にはそのオリジナリティが全くありませんからただの物真似になってしまいます。
その沢山の写真もさることながらそういう報酬を当てにせずに写真を撮り続けるという人生が私には真似できないのです。四十年あまりたった今も続けているのです。
私にはお金にならない写真を撮るという発想がありませんでした。私は五十年近く写真で飯を食ってきたのです。私の眼と人指し指で嫁さんを貰い三人の子供を育て家まで建てました。
自分としてはそれなりにいい写真を撮った自信もあります。紙面を賑わせた実績もあります。しかしアート写真家としての人生は彼の足元にも及ばないと恥ずかしく感じてしまうのです。
そろそろ人生を顧み始めた・・・白髭・・・でした。

ペルソナのオリジナル大判写真集が欲しかったのですが、普及版で持ってます。
かのハッセルは下宿のおばさんに借金して購入したそうです。私のように使い切れないカメラを持たず、ハッセルだけで境内を背景にした市井の色んな人は見ていて飽きません。